由緒・沿革

真言宗豊山派 中荘山 満藏院

 当寺は満願寺一山十二坊の一で、安楽坊といった。建仁二年(1202)、実盛律師が満願寺の学頭である無量光院を再建した折、寺宇を創建したという。よって開山を実盛としている。元禄一四年(1701)二月、奥田村安楽寺と寺号紛らわしいという理由で、満蔵院と改号した。『尾張徇行記』に「覚書曰、安楽坊境内七畝十歩、内六畝歩前々除、一畝十歩年貢地…寛延二巳年(1749)旧址ヨリ暫ク西ヘ易地スト也」とある。

真言宗のおしえ

 真言宗の教えは、弘法大師(こうぼうだいし)によって完成されました。その教えは、自分自身が本来持っている「仏心(ぶっしん)」「限りない人格」「さとりの世界」を、「今このとき」に呼び起こす即身成仏(そくしんじょうぶつ)に求められます。それは、自分自身を深く見つめながら、「仏のような心で」「仏のように語り」「仏のように行う」という生き方です。この教えをもとに、人々がともに高めあっていくことで、世界の平和がもたらされ、理想世界としての密厳仏国土(みつごんぶっこくど)が完成するのです。

豊山派

 

密教は、大乗仏教を大成する形で7世紀ごろのインドで始まり、やがて中国に伝えられます。そして延暦23年(804)に弘法大師(こうぼうだいし)が長安(現在の西安)にわたって、恵果阿闍梨(けいかあじゃり)からその教えを授かり、日本へと伝えられました。
弘法大師によって開宗された真言宗は、東寺とうじや高野山(こうやさん)を中心に広められます。 平安の末期に興教大師(こうぎょうだいし)によってさらに新しい力が吹き込まれると、根来寺(ねごろじ)が創建されました。

鎌倉時代になり、頼瑜僧正(らいゆそうじょう)によって新義真言の教えが成立し、根来寺を中心に栄えましたが、戦国時代の戦渦により、専誉僧正をはじめ多くの僧侶が根来寺を離れることになりました。
その後、豊臣秀長公によって奈良の長谷寺(はせでら)に招かれた専誉僧正は、豊山派を興し、長谷寺は学山として栄えました。豊山派の派名は長谷寺の山号「豊山(ぶざん)」に由来します。
江戸時代、五代将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)公の生母である桂昌院(けいしょういん)が音羽(現文京区)に護国寺を建立し、豊山派の江戸の拠点として末寺を増やしました。
現在は、全国に3,000カ寺、僧侶数5,000人、檀信徒数200万人の宗団となっています。


真言宗豊山派総本山長谷寺HP
真言宗豊山派大本山護国寺HP

真言宗豊山派仏教青年会HP


 


 
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