真言宗豊山派 中荘山 満藏院
聖武天皇の御代、天平7年(735)行基菩薩がこの地に七堂伽藍を創建したが、天慶
4年(941)平将門の乱のため堂塔地舎が悉く皆焼失した。
土御門天皇の御代建仁2年(1202)実盛律師が、本願主沙弥として、大檀主に藤原清広・藤原安綱の両公から寺領を寄進して貰い再建された。
当山は実盛律師が満願寺を再建した折、寺宇を創建したという。よって開山を実盛としている。当時の寺院は満願寺一山といって、学頭が無量光院で、別当が普賢寺をはじめ寺家八ケ寺、別院が浄安寺・蓮花寺等一山十二坊あり、当山はその一つで、安楽坊といった。
「尾張中島郡中荘山満願寺 往古七堂伽藍一山十二ヶ寺也。今之村之地ハ往古之地跡也。
往古之村ハ東ニアリ。後世今之所ニ移ル。
満願寺一山寺号 学頭 無量光院 別當 普賢院 并 浄安寺 蓮花寺
下八坊 満月坊 日輪坊 宝蔵坊 密蔵坊 安楽坊 等覚坊 成就坊 増長坊
已上十二ヶ寺
右本拠ハ萬徳寺於宝蔵撰之記畢」
その後、永禄年間(1558~69)の兵乱で寺領を失い、
天正年中(1573~91)に至り、寺院十一ケ寺は終に廃寺となり、
無量光院と安楽坊のみとなってしまった。
当山の寺号は、元禄14年(1701)2月、奥田村安楽寺と寺号紛らわしいという理由で、満蔵院と改号した。『尾張徇行記』に「覚書曰、安楽坊境内七畝十歩、内六畝歩前々除、一畝十歩年貢地…寛延二巳年(1749)旧址ヨリ暫ク西ヘ易地スト也」とある。